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デハ70形紹介
製造初年 | 昭和17年 |
最大在籍車両数 8両 デハ71〜78号車
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製造所 | 川崎車輌 |
初入籍日 |
昭和18年3月26日
(71〜73号車) |
運行最終日 |
平成12年12月3日
(9ウ 77号車) |
最終除籍日 |
平成12年12月10日
(77号車) |
主な改造 |
昭和23年 制御方式・主電動機変更
昭和24年 連結器設置・集電装置交換(ビューゲル)
昭和31年 集電装置変更(パンタグラフ化)
昭和42〜43年 重連二人乗務方式化改造(片運転台化・前面非対称4枚窓化・ドアエンジン取り付け)
昭和53〜57年 車体更新工事施工(鋼体張替え・張り上げ屋根化・前面対称4枚窓化・連結面2枚窓化など)
昭和61〜平成4年 パンタグラフ変更
平成元〜4年 前照灯シールドビーム2灯化
平成2年〜4年 連結面2段窓化
平成6〜8年 走行装置変更(台車・主電動機交換) |
在籍車両
入・除籍日
一覧 | 車両番号 | 製造所 | 入籍日 | 除籍日 |
デハ71号車 | 川崎車輌 | 昭和18年3月26日 | 平成12年8月 |
デハ72号車 | 川崎車輌 | 昭和18年3月26日 | 平成12年8月 |
デハ73号車 | 川崎車輌 | 昭和18年3月26日 | 平成12年4月 |
デハ74号車 | 川崎車輌 | 昭和21年 | 平成12年4月 |
デハ75号車 | 川崎車輌 | 昭和21年 | 平成11年3月 |
デハ76号車 | 川崎車輌 | 昭和19年8月10日 | 平成11年4月 |
デハ77号車 | 川崎車輌 | 昭和19年8月10日 | 平成12年12月10日 |
デハ78号車 | 川崎車輌 | 昭和19年8月10日 | 平成12年6月 |
※車両番号をクリックすると各車両の詳細をご覧頂けます。 |
デハ70形車両は昭和18年3月に登場した、玉川線輸送力強化を目的に製造された車両です。昭和17年から川崎車両で8両が製造されましたが、戦中に既に全車両分の車体は完成していましたにも関わらず、戦時中の資材不足の影響で、74・75号車は終戦後の昭和21年になって登場しました。ちなみに、登場前には80形となる予定で、71〜73号車は81〜83号車として申請されています。登場時は昭和14年製造のデハ60形とほぼ同設計で、前面は3枚窓で方向幕を備え、前照灯も腰部1箇所のスタイルでしたが、昭和25年頃に前照灯は屋根上の移設、方向幕撤去が行われ、更に昭和43年に玉川線合理化と輸送力強化対策のために行われた「連結二人のり」2両連結改造では、向かって左側に側面監視用の小窓を増設した変則4枚窓に、昭和53〜57年にかけて行われた車体前面更新では、張り上げ屋根とした他、前面も80型と同じ対称4枚窓化となり、平成元〜4年には前照灯を腰部シールドライト2灯とし、時代の流れとともにその顔を6回も変えていき、引退時には当時の面影は完全に消え去りました。集電装置も、登場当時はダブルポールでしたが、ビューゲル、そしてパンタグラフに変更されています。
昭和44年5月の玉川線廃止後にも全車両が世田谷線に残り、平成6〜8年には台車・主電動機の交換でカルダン化も受け、車体だけではなく、走り装置も一新しましたが、平成11年3月から廃車が始まり、21世紀をあと20日と迫った平成12年12月の77号車の引退で、70形車両はその歴史に幕を下ろしました。
主要諸元表(数値は引退時) |
最大寸法 | 長さ13960mm×幅2300mm×高さ3970mm |
自重 | 18.5t |
定員 | 100(座席35)人 |
客室面積 | 24.6平方メートル |
集電装置 | PT-52形 |
台車 | M台車:TS-332形 T台車:TS332T形(運転台側をT台車とする) |
駆動方式 | TD継手式平行カルダン方式 歯車比67/11=6.09 |
主電動機 | TKM-94(TDK8568-B)形 直流直巻補極付 定格出力52KW |
制御装置 | 直並列複式制御器 |
ブレーキ装置 | 直通ブレーキ・保安ブレーキ |
補助電源装置 | SIV(偶数号車のみ装備) |
電動空気圧縮機 | HS-5形 除湿装置付 |
点灯装置 | 前照灯:2個 尾灯2個 客室内灯:10個 |
保安方式 | 車内警報装置 |
連結器 | 自動連結器 |
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1998年8月28日開設