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デハ80形紹介
製造初年 | 昭和24年 |
最大在籍車両数 28両 デハ81〜108号車
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製造所 |
日立製作所
東急横浜製作所
川崎車輌 |
初入籍日 |
昭和25年1月9日
(83・84号車) |
運行最終日 |
平成13年1月27日
(臨10ウ 81・82号車) |
最終除籍日 |
平成13年2月日
(81号車) |
主な改造 |
昭和31年 集電装置変更(パンタグラフ化)
昭和42〜45年 重連二人乗務方式化改造(81〜86号車に施工、片運転台化(81〜84号車のみ)・ドアエンジン取付け・中扉ステップ設置)
昭和53〜56年 車体更新工事施工(鋼体張替えなど)
昭和62〜平成2年 パンタグラフ変更
平成元〜2年 前照灯シールドビーム2灯化
平成2年〜4年 連結面2段窓化
平成6〜9年 走行装置変更(台車・主電動機交換) |
在籍車両
入・除籍日
一覧 | 車両番号 | 製造所 | 入籍日 | 除籍日 |
デハ81号車 | 日立製作所 | 昭和25年1月31日 | 平成13年2月 |
デハ82号車 | 日立製作所 | 昭和25年2月2日 | 平成13年1月 |
デハ83号車 | 日立製作所 | 昭和25年1月9日 | 平成11年10月20日 |
デハ84号車 | 日立製作所 | 昭和25年1月9日 | 平成11年11月 |
デハ85号車 | 東急横浜製作所 | 昭和25年2月7日 | 平成12年6月 |
デハ86号車 | 東急横浜製作所 | 昭和25年3月2日 | 平成12年12月4日 |
デハ87号車 | 日立製作所 |
昭和25年7月21日
デハ20号車復旧名義 | 昭和43年10月1日 |
デハ88号車 | 東急車輛 |
昭和27年7月8日
デハ6号車鋼体化名義 | 昭和44年1月1日 |
デハ89号車 | 東急車輛 |
昭和27年7月23日
デハ4号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ90号車 | 東急車輛 |
昭和27年9月21日
デハ8号車鋼体化名義 | 昭和44年5月1日 |
デハ91号車 | 東急車輛 |
昭和27年10月15日
デハ9号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ92号車 | 東急車輛 |
昭和27年11月19日
デハ10号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ93号車 | 東急車輛 |
昭和28年4月3日
デハ12号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ94号車 | 東急車輛 |
昭和28年4月4日
デハ13号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ95号車 | 東急車輛 |
昭和28年4月17日
デハ11号車鋼体化名義 | 昭和43年10月1日 |
デハ96号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月12日
デハ3号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ97号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月5日
デハ2号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ98号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月19日
デハ14号車鋼体化名義 | 昭和44年2月4日 |
デハ99号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月24日
デハ7号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ100号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月22日
デハ1号車鋼体化名義 | 昭和43年10月1日 |
デハ101号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月27日
デハ5号車鋼体化名義 | 昭和44年2月4日 |
デハ102号車 | 東急車輛 |
昭和28年5月30日
デハ15号車鋼体化名義 | 昭和43年10月1日 |
デハ103号車 | 川崎車輌 |
昭和28年4月17日
デハ28号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
デハ104号車
(デハ87号車) | 川崎車輌 |
昭和28年4月19日
デハ29号車鋼体化名義 |
昭和45年4月30日
江ノ電譲渡601号車 |
デハ105号車
(デハ88号車) | 川崎車輌 |
昭和28年5月2日
デハ22号車鋼体化名義 |
昭和45年4月30日
江ノ電譲渡602→651号車 |
デハ106号車
(デハ89号車) | 川崎車輌 |
昭和28年4月28日
デハ21号車鋼体化名義 |
昭和45年10月31日
江ノ電譲渡603号車 |
デハ107号車
(デハ90号車) | 川崎車輌 |
昭和28年4月30日
デハ23号車鋼体化名義 |
昭和45年10月31日
江ノ電譲渡604号車 |
デハ108号車 | 川崎車輌 |
昭和28年4月29日
デハ24号車鋼体化名義 | 昭和44年5月11日 |
※81〜86、104〜107号車は車両番号をクリックすると各車両の詳細をご覧頂けます。 |
デハ80形車両は昭和25年に登場した、玉川線では戦後初の新型車両です。昭和25〜29年にかけて全28両が日立製作所・東急横浜製作所(現:東急車輛製造)・川崎車両で製造されましたが、このうち完全新造車は81〜86号車の6両のみで、その他は、木造のデハ1・20形車両を鋼体化の名目で機器流用で登場しています。ちなみに、このうち85・86号車は、それまで戦争被災車の復旧などを中心に行っていた東急車輛製造の初の新造車両です。車体はヨーロピアンスタイルで曲線を多用し、窓を大きくした軽快なデザインで、戦後に登場した路面電車用車両の中でも名車と称され、利用者にも好評で、玉川線では最大勢力を誇り、名実ともに誇高度経済成長時期の玉川線の顔として活躍しました。昭和43年には玉川線合理化と輸送力強化対策のために行われた「連結二人のり」2両連結化改造を完全新造の81〜84号車が受け、片運転台になる一方、木造車の更新車両の廃車が開始され、昭和44年5月の玉川線廃止後の世田谷線には、完全新造の6両と更新車両87〜90号車(104〜107号車を改番)の10両が残りました。翌45年には85・86号車に「連結二人のり」化改造を、出入場車が発生した場合に、その車両の相棒の代わりに連結されて使用するため、両運転台を残した形で行われましたが、改造を受けていない87〜90号車は江ノ島鎌倉観光(現:江ノ島電鉄)へ譲渡されました。昭和53〜56年にかけて原形の雰囲気を残した車体更新工事が行われ、その後平成6〜9年にかけて台車・主電動機の交換によるカルダン化で新性能化されましたが、平成11年10月から廃車が始まり、最後に残った82-81編成も、引退を前に戻された玉電時代のツートンカラー塗装の姿で、平成13年1月のさよなら運転で大雪の中を多くの人々に見送られながら、路面電車の名車として、また玉電、そして世田谷線の顔としての51年間の活躍に終止符を打ちました。
主要諸元表(数値は引退時) |
最大寸法 | 長さ13960mm×幅2310mm×高さ3900mm |
自重 | 19.8t |
定員 | 100(座席32)人 |
客室面積 | 25.43平方メートル(両運転台車は23.7平方メートル) |
集電装置 | PT-52形 |
台車 | M台車:TS-332形 T台車:TS332T形(運転台側をT台車とする) |
駆動方式 | TD継手式平行カルダン方式 歯車比67/11=6.09 |
主電動機 | TKM-94(TDK8568-B)形 直流直巻補極付 定格出力52KW |
制御装置 | 直並列複式制御器 |
ブレーキ装置 | 直通ブレーキ・保安ブレーキ |
補助電源装置 | SIV(偶数号車のみ装備) |
電動空気圧縮機 | DH-25形 |
点灯装置 | 前照灯:2個(両運転台車4個) 尾灯2個(両運転台車4個) 客室内灯:10個 |
保安方式 | 車内警報装置 |
連結器 | 自動連結器 |
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1998年8月28日開設